当店の今昔

幣店は、1851年(嘉永四年)に、成田山新勝寺への「成田詣」のご参拝客をおもてなしする旅籠として当地に創業いたしました。

「成田詣」は、元禄時代 成田ゆかりの初代 市川団十郎が、信心する成田山の演目を興行した頃から活況を呈し始め、「お伊勢参り」ほど大層でなく、江戸より3、4日の行程という手頃な庶民の行楽として発展してきました。江戸より、船橋を経由した陸路、利根川を舟で下り、木下(印西市)から陸路など、様々なルートがあったようです。

※画像をクリックで拡大いたします。初代当主写真
当店初代当主77歳祝 古矢家家族写真 明治26年12月
手前左が初代当主。後列中央が二代目。
後列右から二番目が三代目。手前中央が五代目。

参拝は「講中」という、参拝団が全国各地域で組織され、数十人から数百人の規模で訪れました。講元という講のリーダー(元締め:多くは成田山ゆかりのお寺の住職様や名主様など)の音頭取りの元、先達(実務リーダー)が段取りを行い組織化されておりました。

参拝時期は、正、五、九 と言い、正月、田植えの後、稲刈りの後、が盛りでした。現在でも、この時期の参拝が多いのは当時の名残のようです。

現在の講中は観光バスや電車でお越しになり、成田山のみならず、千葉県下の観光地も同時に周られることが多いようです。

※画像をクリックで拡大いたします。当店航空写真
昭和30年代の成田山の航空写真
赤い枠が田中屋です。

昭和40年代半ば迄は、交通網も不備で田舎?の感があり、参拝も泊りがけが多く、東京からも一日がかりの参拝でした。しかし、成田国際空港の開業に向け、高速道路、鉄道が整備され、一気に首都圏の身近な観光地となり、お参りの形態も日帰り中心に大きく変化してまいりました。

最近では、日本の方のみならず、空港を利用される海外のお客様が、多く訪れるようになりました。

こうした、ご参拝の変遷を受け、弊店も時代とともに変化してきております。。

当店航空写真
当店航空写真
当店航空写真
昭和39年当時のお店前の風景。写真に写っているのは七代目です。※画像をクリックで拡大いたします。

・ 江戸~昭和30年代末
講中向けの旅館、中食処として営業
・ 昭和40年初頭~平成5年頃まで
みやげもの部門と食堂を店頭に併設。
車社会の発達、成田空港建設で日帰り観光が活況。ご近所へ配る成田みやげが拡大。
・ 平成6年~現在
みやげもの部門の拡充
-バブル崩壊後、個人消費中心の時代へ
-ゆとりの娯楽へ
-付加価値追求
-食の安全
-こだわりの一品さがし
など、価値観の多様化
・ 平成20年9月
多様化する時代に答えるべく、リーニューアル。カフェ・甘味処「胡桃下茶寮」併設


当店略歴

1840年頃 初代古矢佐兵衛 成田で料理屋、旅籠開業
1851年 初代古矢佐兵衛 現在地(成田市本町332)で旅館「田中家」創業
1984年 店舗全面新築
2008年9月 リニューアルオープン カフェ・甘味処「胡桃下茶寮」併設

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